「ゆーきちゃんはなぜ風俗嬢になったのか?」

こんにちは♡、元No.1風俗嬢ゆーきです。

ゆーきちゃんの『あなたもこう考えればうまくいく♡』シリーズ、

 

前回は、
風俗で稼ぎながらしあわせになる方法。
についてお伝えしました。

 

叶えたいことを叶えるためには、
目標をはっきりと定めることも
もちろんだいじなのですが、

それ以上に欠かせないのが、
それを叶えたい「理由」を明確にすること。

 

「やる理由」がはっきり定まってないと、
何事も中途半端になりやすいものです。

 

わたしは自身の経験から、

風俗嬢をしていると病みやすい理由は
3つあると思っていて、

 

そのひとつが、

「なぜそれをやるのか?」が明確になっていないこと、
だと思っています。

残りのふたつはまたの機会にお伝えしたいと思います

 

他のふたつと異なり、
自分の取り組み次第で整えられることなので、
ぜひ、自分自身のために向き合ってみてほしいなと思って
書きました。

よかったら読んでみてくださいね。
風俗で稼ぎながらしあわせになる方法。

 

今回は、
わたしの「なぜ風俗嬢になったのか?」について、
触れていきたいと思います。

意識の浅いところから深いところまで、
あと多少ぶっ飛んだことをお伝えするかもしれません。
(おそらく風俗嬢をなりわいとしている女の子の多くがそうだと思うから)

新しいことに興味があった

風俗に入った直接のきっかけは失恋だったのですが、

風俗には単純に興味がありました。

 

男の人がお金を払ってまで女の人を抱きに行くところとは、
いったいどんなところなんだろう。。

という素朴な疑問。

 

わたしは売れるのだろうか?、とか
怖いことに巻き込まれる可能性、とか

そういったことを考える余裕は
一切ありませんでした。

 

人生で行き詰ったときには必ず、

何か新しいことに取り組んで、
現状を打破しようという試みをしてきたこともあって、

そのときのわたしに、
風俗はぴったりだったのです。

 

限りなく印象のよいスタートを切ったことから、

風俗で働くことは必然だったんだなと
今でもしみじみ思います。

 

興味がある、という理由だと、
なんだか「考えなし」の行き当たりばったり感ハンパない
印象になってしまうかもしれないのですが、

熟考したかどうかにかかわらず、
「人生に導かれるようにしてココまできた」
といったことは、

それが風俗であれ何であれ、

今世での課題に関わること、とみてよいでしょう。
自分の本質から生きる意味と目的。

 

もしあなたにとって、

風俗の経験をすることが、
今世での魂の役割に大きく影響を及ぼす場合、

風俗はとても縁の深いものとなるでしょう。

性エネルギー(いのちそのもの)を扱う神聖さは、
偏見によって貶められていますが、

その場合でも、
偏見に神聖さを穢されることなく、

あなたは「泥の中に咲く蓮」のように在り続けます。

 

喪失感を紛らわせたかった

これはド直球の「失恋の痛手」ですね^^

 

少し話がずれてしまうかもしれないのですが、
まず最初にこの話をしておきたいと思います。

 

わたしは長らくセックスをなりわいとしてきましたが、
セックスがないと生きていけないセックス依存症ではありません。

もし何か依存症といわれるものにあてはめなければいけないとしたら
仕事依存症や恋愛依存症の方が適切だと感じています。

 

セックスは体感的に、
「性エネルギーの交換」だと思っています。

エネルギーが溶け合い、
高め合えるセックスは、
テクニックだけを駆使したそれとは
大きく異なるものです。

 

また、恋愛依存症に関しては、
これまでずっと彼が途切れない人生だったのですが、

家族との関係性を改善したら、
その欲求はパタッとやんでしまいました。

 

「彼がいないと自分の存在を保てない」

 

手放せてはじめて自覚した焦燥感に、
最初は愕然としたものです。
(ずっと、彼がいないのは「不幸」と思い込んでいたんですよね。。
でも、実際はそうではなかった。笑)

現在はこれまでにない落ち着いた毎日を送っています。

 

話は戻り、

 

何の前触れもなく、
突然終わってしまった恋愛の喪失感といったら
とても言葉にできるものではなくて。。

きっと何度味わっても、
「慣れる」ことはないのだろうなと感じます。

 

わたしは、
「失恋すると仕事を頑張る」、
というパターンを持っていました。

それはわたしにとって「考えなくて済む」という
メリットがあったからなのですが、

「本質的な解決」とはいえないだけに、
人生の中でたびたびくり返していました。

 

何かをやっていると気がまぎれるし、
何かをやっていると人生が進んでいると思えたんですね。
そういう意味で仕事は何より最適でした。

「仕事をよすがとして乗り切ってこれた」
といっても過言ではありません。

 

これを一言でいうと、
仕事依存症なんだろうなと思うのですが、

 

実のところは、

心の傷を、自己治癒力を上げて治す、というよりも、
傷に絆創膏を貼っただけで、免疫改善には努めない、

みたいなことをやっていたと思うのです。

 

ブランド物や貴金属などで着飾ることに
わたしは興味がないのですが、

傷に絆創膏を貼りまくって、
「着飾る」こと(平気なフリ)ばかりしてきた、

ということは、
今になってよくわかります。

 

余談ですが、

ひとつ前の、
「新しいことに興味があった」は、
オブラートの役割を果たす理由でした。
(いわば、傷ついた自分を隠すペルソナ)

ペルソナの直訳は仮面(ラテン語)。

今回の場合で使うペルソナは「自己の外的側面」。
ひらたくいうと「外に見せている自分」のこと。

もっというと「役割を演じている自分」のことで、
それが不要なときにもペルソナを使ってしまうようなら、
そこにパターンがあるとみていいでしょう。

 

痛みはこうして
「ポジティブっぽいもの」にくるまれ隠されるのですが、

これはパターン化して、
人生において何度もくり返しされます。
(傷を癒さない限りペルソナも外せないため)

 

明るく振る舞う、でも、その内側にある本音は見せられない

という場合は、
「そのギャップに参ってしまいやすいパターン」といえますが、

パターン自体は、
単純に悪者というわけではなくて、

解釈次第で、
「困ったもの」から「幸福度を上げるもの」に変えることが可能です。

 

存在肯定

わたしは「根拠のない自信」というのは、
「理屈抜きでの存在肯定」だと思っています。

 

飽きっぽくて、
なにごとも長続きしなかったわたしは、
コンプレックスだらけでした。

コンプレックスを隠そうと「できる子」になりたくて、
「できる子」になれない自分を受け容れられなくて、

自分の居場所なんかどこにもなくて、
誰かに気を遣うことにも疲れてしまって、

人と関わるのが本当に怖くて、
上手く伝えられないもどかしさがいつもあって、

自信なんてまったく持てなかったんです。

 

それでも、自分の中にある「根拠のない自信」は、
絶え間なくわたしを照らし続けていて、

わたしにぴったりの方法と場所と時間と出逢いを
もたらしてくれました。

 

表面的にいう自信は、
あってもなくてもいいんだとわかりました。

 

性エネルギーを扱う際に、
見栄やプライドが邪魔になることもわかりました。

 

だから、
自信なんてまったく持てなかった「へなちょこなまんま」、
風俗の世界に入ることになったのだと思います。

 

相手のエネルギーを受け取り、
相手を癒し、満たす。

「理屈抜きでの存在肯定」は、
自分の存在を肯定し、
お客さまの存在も肯定し、

ほんのわずかなひとときを大切なものにし、
あとでほっこり思い出す「温度」のあるものにし、
人生の一歩を確かなものにする。

 

ちゃんと必要なものはもっていたみたい。

どんなにごまかそうとも、
どんなに痛みに打ちひしがれようとも、
本質はその存在を肯定している。

 

わたしは、自分も自分の世界も肯定したかったんです。

親も肯定したくて、
わたしのことを振った人も肯定したくて、
その他の納得できないことも、
わたしが怖れることもすべて。

 

しあわせになりたい。

 

「わたしを知りたい」

わたしの写し鏡である「世界を知りたい」。

 

魂の経験を積むために、
そこはわたしにとっての最適な場所。

 

その先にわたしのすべきことがある。
そのためのプロセス。

わたしという存在(魂)が望むことを、
望みのままに果たしていくのみ。

 

わたしは、

もっと自分のことを好きになるために、
わたしにしかできない経験をするために、

風俗嬢になりました。

 

 

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