「時間を奪われている」と感じるとき、そこに人生の課題がある。

こんにちは。元No.1風俗嬢ゆーきです。

 

「自分のことを好きになりたい」
と思ったときに、

具体的にどうすればよいのでしょうか?

 

今回はこのことをお伝えしていきたいと思います。

 

わたしは人のことを優先し過ぎて、

誰かの望みを自分の望みと同化させて、
あたかも最初から自分が望んでいたかのように
生きてきたので、

「自分が何を望んでいるのかさっぱりわからない」期間を、
かなり長い年月過ごしてきました。

 

だからこそ、
麻痺しきった自分自身に対する感受性を取り戻すまでに、
とても丁寧に、ささやかなことを重ねていく必要がありました。

 

今でもわからないことは多いかもしれません。

 

それでも、

「自分のために人生を使っていいんだ」

と思えるようになりました^^

 

人への感受性の方がおそらくまだ高いので、
ついセンサーが働いてしまって
苦しくなってしまうこともあるのですが、
(人を優先にしないことでの葛藤や罪悪感)

 

それもバランスだし、
持ちつ持たれつだし、

といったとらえかたもできるようになり、

 

だいぶラフな感覚を掴めてきたかな、
と感じています。

 

自分のことを好きになれると、
何をせずともしあわせです。

幸福度が高いってとっても楽です。

 

でははじめていきますね。

 

「時間はいのち」人生は時間の集まりでできている。

人生の状態は時間です。

 

特別意識しなくても、

呼吸をしているように、
心臓が動くように、

時間もまた
流れていきます。

 

秒針を見ながらであれば、
多少時間を意識しやすくなるかもしれないのですが、

なにげなく「ただ時間を意識する」ことは
ちょっと難しく感じるのではないでしょうか。

 

その代わり、

  • 呼吸に意識を向ける(瞑想など)
  • 本を読む
  • 歌を歌う
  • 音楽を聴く
  • おしゃべりをする
  • 作業に夢中になる(仕事でもゲームでも)
  • 大切な人と大切なひととき過ごす

などの体感でもって、

「時間を意識する」ことは
しやすいのではないでしょうか。

 

つまり、

 

わたしたちは時間の流れと「ともに在る」ことによって、

いつでも「振り返る形で」、

時間(人生・いのち)を体感しているのですね。

 

 

 

時間を大切に扱うのは「いのち」をだいじにするのと同じ。

時間は伸びたり縮んだりします。

 

体感としては、

その興味の度合いや、
集中の度合いによって、

速く感じたり、
遅く感じたりしています。

 

楽しいことやしあわせなことは
あっという間に過ぎ去り、

「むしろもっとそこに時間を割きたい」と思います。

 

なぜなら、

そこには何か自分にとって
「重要で」「役に立つ」

かけがえのない「何か」や
その「きざし」
を観ているからです。

 

興味や目的を見出せているときは、
これらを「てんこ盛りで」いただけているのですね。

 

逆に、
「自分には関係ない」と感じる
興味や目的が見出せないようなことは、

退屈で仕方がなく、

やらされ仕事のように感じ、
やっつけ仕事のように片付け、

そこに「価値を見出さない意識」が働きます。

 

時間の速さの体感に違いがある理由は、

「与えられている」ことへの気づきの違い

があるからなのですね。

 

「いのち」をだいじにしたいなら、
時間を大切に扱うことです。

時間を大切に扱う唯一の方法は、

自分にとって楽しいことやしあわせなことをすることです。

 

死にたくなったり消えたくなったりするほどの、
こころやからだが悲鳴を上げ続けなければいけない
「嫌なこと」はしてはいけないのです。

 

注意

これは、
「やりたいことをやる」その途上での苦悩や、
こころやからだが悲鳴を上げるほどに
注力する努力とは、
一線を画します。

 

人生とは『「いのち」をどのように使い切りますか?』ということ

特に自分自身を深掘りしなくても、
やりたいことがある人や既にやっている人は
そのまま突き進んでいけばよいでしょう。

 

けれども、
まだやりたいことが見つかっていない人もいると思います。

 

その場合はどうすればよいかというと、

 

「自分のいのちをどのように使い切ろうか?」
と自分に問いかけてみること。

 

なのですが、

 

すっと浮かんでくることもあれば、

 

「いのちを使い切る」ってどういうこと?
と余計こんがらがってしまうかもしれません^^

 

そんなときはこう考えてみましょう。

 

  1. やたら時間が長く感じるとき
    「ホントにそれ、したいこと?」
  2. 好きも嫌いも自覚がなく、ひたすら集中できてしまう
    「夢中になれるって、それ『強み』じゃない?」
  3. 「そんなことに時間を使いたくない」と思うとき
    「ホントは何に時間を使いたいの?」
  4. 「わたしの時間を奪わないでほしい」と感じるとき
    「何になら時間を投資してもいいんだろ?」

 

 

世の中には2種類の人がいます。

「いのち」を好きなことに使うことができる人と
そうでない人です。

 

その違いは何かというと、

自分のことが好きかどうか。

 

「いのち」を好きなことに使えていないとき、
人は「自分のことが嫌い」です。

「自分を好きになれなくなる」ループにハマると、
際限がありません。

 

「自分を好きになれなくなる」ループ

  • 自分自身を生きることを諦め、
  • 誰かの言うことを聞いて穏便に過ごせば問題ないと思い、
  • そうすればするほど不平不満が溜まっていき、
  • 現実から逃げるように、
    「自分自身を生きること以外のこと」に時間を費やし、
    (ゲーム、ネットサーフィン、etc.)
  • 「自分自身を生きる」実践をしている人に嫉妬し、
  • 「どうせ自分には無理」と諦めを強化し、

以下略

 

「時間を奪われている」と感じるとき、
そこには人生の課題があるのですが、

なかなか簡単には見つけさせてもらえません。

 

なぜかというと、

人は基本「自分を変えたくないから」です。

 

これは「ホメオスタシス」が働くからで、

「このままではうまくいかない」
「なんとかしなきゃ!!」
といった差し迫った状況にでもならない限り、

“ぬるま湯”のままなんとかしのいでいたいものなのです。

 

「時間を奪われている」と感じるときは、
自分以外の誰かに対して感じているわけですが、

 

実際、
一番時間を奪っているのは「自分自身」です。

 

けれども、
上述した通り、本能が自分の味方をするため、
簡単には気づけないようになっています。

 

誰かに対して、
「時間を奪われている」と感じたときは、

自分の人生の課題があぶり出されたとき。

 

つまり、

「好きなことを見つけるチャンス」
「より好きなことを純化するチャンス」

なのです。

 

これを言い換えると、

「自分のことが好きになれなくなる」ループがほころびるチャンス。

 

何を諦めていたのか。
希望が持てなくなっていたのか。

それがわかるわからないにかかわらず、

諦めたままでも
動き出せば何かが変わっていきます。

希望が見えたから動き出せるのではなく、
動き出すからこそ希望は見えてくるもの。

 

課題はあらかじめ認識できるとは限りません。

 

クリアしてはじめて、とか
8割方達成した時点で、とか

振り返ってみて、
「ああ、このことを気づくためのプロセスだったのか」
といった具合だったりすることがほとんどです。

 

また、
動けているから「楽」というわけではありませんし、
クリア後もけっして「楽」になれたわけでもありません。

 

これはどういうことかというと、

何もせずにいた怠惰な「楽」とは違う、

ということです。

 

怠惰な「楽」と違って、
動いているときの「楽」は充実度が違います。

自転車でたとえるなら、
筋肉痛になったりします。
息が切れてゼイゼイいったりします。

けれども、
移り変わる景色が美しいし、
日差しがまぶしかったり、
頬に風を受けたり、
シャツが風をはらむ感覚などが
気持ちいいのです。

 

そのような違いがある、
ということです。

 

クリア後のたとえは省略しますが、

何が言いたいかというと、
つまりこういうことです。

 

自分の「いのち」を使って、
どの「楽」を味わいたいか。

 

今回の人生をどう生きるか、
自分のいのちをどう使い切るか、

これがわかってくると、

現状がすべきことなのか、
そうでないのか(=新たに動き出す必要があるのか)、

が一瞬でわかるようになります。

 

新たに動き出す必要があるのに、
すぐには動き出せない場合も同じです。

どう段階を追ってやっていけばよいのかが
一瞬でわかるようになります。

 

自分を好きになると「人生が加速します」。

 

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