こんにちは、元No.1風俗嬢ゆーきです。
ふと、どうでもいいことを思い出して、
あまりのダメっぷりに、
差した傘で顔を隠しながら、
ひとり笑った雨の朝のできごと。
(ぐでんぐでんのダメダメなお話です。)
3年半ほど前に、
うっかり恋に落ちてしまったわたしは、
その1ヶ月後に、
その相手が家庭を持っていることを知り、
一度落ちてしまった元の場所には、
もう戻れないことを悟り、
(恋ってなんで落ちるんだろ?なんで戻れないんだろ?)
ウキウキ気分で一緒にでかけたその場所で、
一瞬で、途方に暮れてしまったのでした。
(想いの行き場を失ってしまうつらさって、
本当に言葉にならないものですよね)
ところが、
あまりにもおめでたかったので、
「がんばれば成就する」
と勘違いはなはだしく、
めっちゃがんばって、
結局、2年くらい大好きだったな。
で、朝思い出したのがここから。
友達と飲みに行ったお店で、
(わたしは飲めない性質(たち)なので)、
たしか2杯も飲んでなかったはずなのに、
トイレを占拠し戻れない、
リバースしたくても催さない、
友達待たす、
お店の人に相当気遣われる、
などなど、
迷惑をまき散らし、
挙句の果てに、
お店を出てすぐしゃがみこみ、
リバース。
そして、
お水で口をゆすいでまもなく、
通りがかった外国人の方と目が合い、
「あいらーびゅー」
と言ったらキスされた。
なんかとっても不思議だった。
『逢って1分もしないうちに、
キスしちゃうことってあるんだ』
風俗の世界ではもはや当たり前すぎて、
何も感じなくなっているようなことでさえ、
シチュエーションが変われば、
その同じことが、
めちゃくちゃ新鮮になる。
そもそも、お酒弱いことは重々承知しているから、
こんなできごとは後にも先にもこのときしかない。
どうしようもない失態だし、
もうこういうのはないだろうな、とも思う。
自分のふがいなさを、
まだこの頃は思いっきり持て余していて、
どうしたらいいのかわからなかったことが、
今ではよくわかるし、
「そのどうしようもなさ」が、
とんでもなく愛おしかったりもする。
でたらめとか、はちゃめちゃとか、
人は、想起できないものを怖れるしくみ、をもっているから、
つい「予定調和的に」振る舞ってしまってしまいがちだけれど、
本当は、
『本来の自分』を振る舞わないと、
わたしたちは徐々に狂っていってしまう。
だから、安全な場で、
「安全に壊れる必要」があるのだけれど、
そういうことを知らずに、
小さく壊れるしかなく、
何にもなれなくて、
心を閉ざすしかなくて、
困っている人がたくさんいる。
だから、失敗だ、失態だ、黒歴史だ、なんて言って、
笑い話にできちゃうくらいにすると、
世界はとても「自分にとって」優しいものに変わる。
自分がそう決めてしまうだけでそうなるのだけれど、
そう思っていい、と決めるまでが大変なのだ、と、
世の多くの人は言う。
(だから、ゆーきはこのブログをはじめることにしたのだけれど)
さて、話は戻り。。
友達とその人が何か話して、
そのまま3人でその人の家に行く流れに。
制御不能はわたしは、
ふたりに抱きかかえられながら運ばれていった。
リバース直後にキスした場所から、
5分もかからないところに、
その人の住まいがあった。
連れていかれてすぐに服を脱がされセックスをした。
え、なんでそうなるの?というくらい、
とってもなめらかな描写で。
まだ相当酔った頭と身体でどうしようもなかったはずだけれど、
冷静に友達がそれを受け容れていたことは覚えている。
人にセックスを見られたのもこのときだけ。
恥ずかしいとか、
見られて興奮するとか、
そういったことは皆無だった。
そんなことよりも、
とにかく酔っぱらいすぎてた。
親子ほども年の離れた友達だったのだけど、
あのとき彼女がいてくれてよかった。
こんなにグズグズでだらしない自分を、
これまで誰にも、
(自分自身にさえも)、
見せたことがなかった。
そのことはずいぶん後になってから気づいた。
それをはからずも出し切ってしまった。
そしてそれが静かに受け容れられていた。
「自分のままでいい」
言葉で言うのは簡単だけど、
実際は、
「ここまで出したらダメなんでしょう?」
というボーダーラインを察知して、
誰かの期待を生きてしまいがち。
(支配側にある人。主に親とか教師とか上司とか)
その範囲内での「自分のままでいい」を生きながら、
本来の「自分のままでいい」
ができていると思い込んで、
しまいにそのギャップに苦しんだりする。
彼に愛されたがる自分が嫌だった。
ほどききれない執着が苦しかった。
これは「パターン」だ。
相手を変えても味わうことになる、
今の自分を変えたいなら、
必ずアップデートしなくてはいけないやつだ。
でも、そのお蔭で、
「無言の助けて」が発せられた。
たぶん人生の無様さの中で、
5本の指に入ると思う。
無様って素敵だ。
その中には宝物があったから。
自分自身を出せたこと。
自分自身まるごとが受け容れられたこと。
ぼろぼろで、ぐだぐだで、
これ以上だらしないダメダメな自分はいない、
というのを何回かやったら、
無様の認識が変わる。
はたから見たらどんなにみっともなくったって、
それがただのわたしだということが、
自分自身の中で「当たり前」になっていくから。
それを、しあわせな人生、っていうんじゃないかと、
わたしは思っている。
絶対楽だもんね。
わたしであることを妥協しない、
無理した姿でいる必要がない、
それは人をも楽にすることだから。
「助けて」って言えたらいい。
言葉でも、行動でも、どんな形でも。
あちゃーって、
目を覆いたくなる、
頭を抱えたくなる、
できるならこのまま封印しておきたいできこと、
あなたにはありますか?

コメントを残す