素直になれない心理と、『本来のあなた』に還る3つの方法。

こんにちは、元No.1風俗嬢ゆーきです。

 

あなたが素直になれない理由

あなたが素直になれないのは、
実は「望み通り」だったのです。

 

となにやら突然言われても、

びっくりしてしまいますよね?

 

どういうことか、これから順に解説していきたいと思います。

 

あなたは過去に傷ついた体験から、
「今度同じことがあったときに傷つかずに済むやり方」
を身につけ、

それと同じようなことが起きるたびに、
そのパターンを使う方法を覚えました。

 

ショッキングなできごとから、
心のバランスを保っておけるよう、
「今度同じようなことが起きたときには、
あまり感じないようにするやり方」
を身につけ、

それと同じできごとに遭遇したときには、
すかさずそのパターンで対処してきたのです。

 

あなたが今もし、
「素直になれない」とお悩みなのだとしたら、こんな風に思ってみてほしいのです。

これまであなたが
「素直に」「無邪気に」
振る舞ったり受け取ったりしていたことを
やめてしまった状態になってしまっているんだな、と。

 

「違うかもしれないけれど、
もしかしたらそうなのかもしれない」

 

そのくらいの受け取り方でも大丈夫です。

 

実はそのくらい、
素直になれない人の「受け取る」って、
難しいことなのです。

 

「素直に」「無邪気に」
振る舞ったり受け取ったりすることを
やめてしまっている状態というのは、

 

「素直に」「無邪気に」
振る舞ったり受け取ったりすることを
諦めてしまっている状態、と言い換えることができます。

 

ちょっと思い浮かべてみてほしいのですが、

諦めてしまっているときって、

でも、
どうせ、
だって、

という言葉を発しやすいと思いませんか?

 

また、
あなたのまわりに、
その言葉を発している人がいたときのことを、
想像してみてほしいのですが、

 

その人は、素直さが全開だったでしょうか?

 

おそらく、そうではなかった、と思うのです。

 

諦めてしまっているとき、というのは、
内側に必ず「本音」が隠されています。

 

でも、どうせ、だって、に続く言葉って、
おそらく簡単に想像がつくと思うのですが、
いかがでしょうか?

 

「言い訳」以外のものはこないな、

そう思いませんか?

 

これってどういうことかというと、

誰かの願いを叶えてあげている状態を生きている、

ということなのです。

 

その誰かが気分を悪くしたのなら、

自分の素直な気持ちや無邪気な表現が、
「いけないことだった」とすることで、
その誰かの心の傷をなだめているようなものなのです。

 

しかし、そのような役回りばかりしていたのでは、
あなたが『本来のあなた』を生きることは、
とうてい叶うはずもありません。

けれども、
その思いやりを続ける限り、

あなたは自身の内側にひっそり「本音」を隠し続けて、
「諦めている人」を演じ続けなければならないのです。

 

ここで一度、
しっかり受け止めておくことがあります。

 

あなたが『本来の自分』を押し殺して、
誰かのために「いい子」を演じているのは、

何も、その誰かのためばかりではない、ということを。

 

長らくパターンを繰り返せるだけのメリットが、実はあなたにもあるため、
あなたはそのパターンを手放せない、という事実があるのです。

 

では、そのメリットについて考えてみましょう。

 

「誰かの役に立つ」「誰かが助かる」
という考え方はとても素敵なことです。

ただし、その誰かの成長を妨げるようなものであれば、
それは、余計なおせっかい、である可能性が大いにある、
ということを考慮に入れておく必要があります。

 

これはたやすく「共依存状態」をつくり上げます。

 

すでに、経験した傷を癒したことがある場合は、
同じ症状をもつ誰かがあらわれたとしても、
そこまで過剰反応は示さないはずなのです。

 

たとえば、
膝小僧に擦り傷をつくってしまった場合、

「擦り傷って痛いよね。治るの1週間くらいかかるよね」

といった具合で、

共感もできるけれど、
その経過もわかっている、
そのため過剰に接することなく
「見守る」ことができるのです。

 

ところが、
未知の経験、
まだ治癒にいたらない傷を抱えている場合などは、

どうしたらよいかわからない不安が先に立って、

これ以上不安にならないように、
これ以上傷つかないように、

懸命に現状対処に追われてしまうのです。

そこには、
「この経験をやりきったら次のステージにあがれる」
という視座はありません。

 

誰かに遠慮することで、
誰かを気遣うことで、
『本来の自分』を生きないことを選択しているということは、

自ら自分の力を封印していることにほかなりません。

自ら無力化した自分を「価値あるもの」にするには、
「誰かの傷をかばう役目」を担うことによって、
それを果たそうとするのです。

 

「誰かの傷をかばわなければいけない」、
という想いがどこからくるかというと、

かばわなければいけないような傷を、
あなた自身が持っている、ということです。

 

あなた自身の中に、
誰かの要素が内在しているとき、

あなたはその誰かをたやすく「スルーすること」はできない、

と知っておいてください。

 

逆にいうと、

あなたの中に内在していない、もしくは、
すでに癒された課題に関しては、
「スルーできる」
「見守ることができる」
「愛ある忍耐ができる」

ということもあわせて知っておいてください。

 

もうひとつ、
とても興味深いことがあるのですが、

素直になれない姿でいるメリットに、
「愛されては困る」
というのがあります。

愛されてしまうより、
傷つけられたり、バカにされている方がまし、

という、ちょっと信じられないようなことが、
思いのほかよくあることも知っておいてほしいな、と思うのです。

 

なぜ、好かれたい、愛されたい、と願いつつ、
実のところは「愛されては困る」のかというと、

自己肯定感をしっかり受け止め、
自分を認めてしまうと、
怠惰なままではいられなくなります。

自分を全開で愛することができてしまうと、
エネルギーのめぐりかたがとんでもないことになる、
ということをあなたは知っているのです。

自分で自分を制御できなくなってしまう、
その「想定外」に、
大いなる怖れが無意識レベルで制御をかけてしまうのです。(たとえいい意味であっても、です)

 

また、連鎖的なものもあります。

あなたのご両親(もしくは養育者)が、
愛されることを怖れたままであった場合などは、
そのパターンは受け継がれます。

もし、うまく愛することができない親だとしたら、
そのまた親も、うまく愛することができずに子育てをしている、ことが考えられます。

これを裏返すと、
「愛することができない」と思い込んでいる親の思い込みを証明すべく、
「愛されない」役割を全うしているのです。

 

そういう形で「愛している」のです。

 

この連鎖は、どこかの時点で誰かが気づいて、
そのパターンを解き放つ必要があるのですが、

こういうことは学校では習わないことなので、
知っている人はそれほど多くないのではないでしょうか。

 

けれど、こういうことが一般的になったら、
真に優しい世界に変わっていきます。

 

愛することも愛されることも実はなにより怖いこと、

だからこそ、その怖れを超えたとき、

あなたの世界はがらりと変わり、
視界が開けていきます。

 

『本来のあなた』は純粋性そのもの

あなたは『本来のあなた』を生きていい、
ということが、

少しはお届けできたでしょうか。

 

あなたが誰かに対して我慢している限り、
その誰かもその我慢を味わい続けているのです。

それが本当の優しさかどうか、
思いやりの本質とはいったい何か、

といったことに意識を向けてみる、
よい機会かもしれません。

 

『本来のあなた』を生きる怖れも、
わずかながらも垣間見れたのではないでしょうか。

 

純粋性のまま生きる、ということは、

まだそのように生きることを意識さえもしていない人たちと、
共存していくようなこと。

その想像に難くないめんどくささから、
これまでの妥協した生き方を選ぶ人も、
まだまだたくさんいることでしょう。

 

けれど、

純粋性のまま生きることへの魅力、
自身を解放することによって開かれていく世界、
『本来の自分』で生きる可能性、

に惹かれ、

そちらの人生を手にする人たちも増えています。

 

我慢し続けることで生じる困難と、
未知の可能性にトライしていく中で遭遇する困難と、

どちらの困難の方が、
立ち向かい甲斐があるでしょうか?

そのどちらの生き方の方が、
「生きてる感」「幸福度」が高そうでしょうか?

 

あなたが素直に生きる3つの方法

あなたがもし素直になりたい、と思えたときのために、これから3つの方法をお伝えしていきます。

どれも簡単ですが、パワフルです。

 

あなたの「名前」の力を使う

あなたの名前を口に出して言ってみてください。
(わたしの場合は「ゆーき」と口に出して言います)

 

どんな感じがしましたか?

 

ちょっと照れくさい、とか、
嫌悪感を感じた、とか、
罪悪感を感じた、とか
なんだか湧きあがるもの(感動)があった、など

さまざまな体感を感じられたかもしれません。

 

または、

口に出して言うことがはばかられ、
口元で止まってしまった、
ということもあるかもしれません。

 

ここでは、試してみた結果がどうだったか、は問題ではありません。

 

あなたは、

今あなたが感じたことをあなた自身に対して思っている

ということをお伝えしたかったのです。

 

最初はうまくできなくても大丈夫です。

徐々に慣れていきますので。

 

これと同じ要領で、

 

誰かと話す際にも、
その話している内容に自分の名前を込めるのです。

他愛のないお天気の話でもいいです。
エネルギーとして自分の名前を発しながら(口には出しませんよ)
お天気の話をするのです。

お天気の話=自分の名前

仕事の話=自分の名前

雑談=自分の名前

です。

 

なんだかおかしな話をしているな、と思われるかもしれませんが、

ただのどうでもいい上辺だけのおしゃべりにするのではなく、
「あなた」というエネルギーを存在させる、のです。

 

よく、自分を好きになるには、素直になるには、といったアドバイスに、

自信を持て、とか、
自分を好きになる努力をしろ、とか

そういったものを見かけますが、

それができたら苦労しないよ、
と思いませんか?

(ゆーきは大いに思っていたクチです。苦笑)

 

やってみるとわかると思うのですが、

自分の名前って、

しみじみ感動できて、
するめ以上にするめ(←味わい深いという意味です)なので、

 

よかったら騙されたと思って、
トライしてみてください。

 

もし試してみて、
何かいいことがあった際には、
コメントなどいただけると喜びます。

 

あなたの「声」の力を使う

自分の名前を言ってみて、
敏感な方は感じられた方もいらっしゃるかもしれないのですが、

自分の声がなによりも「癒し」になる

ということをお伝えしたいと思います。

 

録音した自分の声が嫌い、
違和感がある、

 

など「自分の声への評価」をすでにお持ちの方もいらっしゃると思うのですが、

 

自分の声、というものに、
触れてみてほしいな、と思います。

 

意識的に自分の声に耳を傾けてみると、

高い低いだけでなく、
感情に伴ってどこから出ているか違いを感じられたり、

ゆったりリラックスできているときや、
自分自身でいることに充足感を覚えているときなど、
「深みのあるなんともいい声」になっていることが感じられたりなど、

声はコミュニケーションのためだけにあるのではない、
ということがよくわかります。

 

あえて録音して聞き直す必要はありませんが、
少し意識的に自分を声を感じてみていただけたら、

自分自身でいること、の真ん中にいることが
「自然なこと」に変わっていくのを、
感じていただけると思います。

 

自信があろうがなかろうが、
自分のことが好きであろうが嫌いであろうが、

そんなことはどうでもよく、

「あなたはあなた」なのです。

 

条件づけが何ひとつ要らず、

「わたしはわたしなんだ」ということが、
ストンとあなたの腑に落ちたとき、

あなたは「素直」を体得したといえるでしょう。

 

素直というのは、
「素(もと)とまっすぐにつながった状態」のこと。

見せかけだけ素直ぶっているのは、
「素直」とはまったくかけ離れているものだということが、

今のあなたには、
その違いを一目瞭然と受け止めることができるのではないでしょうか。

 

もしそうだとしたら、
あなたはすでに受け取り上手、
つまり素直だということ。

 

素直っていいと思いませんか?

 

あなたの「意識する」力を使う

ここまでで、
自分の名前と声に意識を向けてきました。

最後は、
『本来のあなた』を意識する、
です。

 

『本来のあなた』とは、
つまり魂のこと。

感情に触れることによって、
潜在意識にあるものに触れることはできますが、

感情や思考や想いから、
魂に触れることは、
通常厳しいと思っていいでしょう。

 

なぜかというと、

魂は、
今世での課題に基づいて、
最適な物語を設定した張本人。

いわゆる、
作家であり、
監督であり、
演出家である
「自分」です。

そして、
肉体を持った「自分」に委ね、
思考と感情と意思決定と想像と行動を駆使して、
今世での課題に基づいた物語を生きるのを、

ただただ見守る立ち位置にいます。

 

つまり「自分」という存在そのもの。
「自分」の軸を成すもの、
「自分」の真ん中に在るもの、
と定義することができます。

在る(存在)、なので、
ブレることはありません。

粛々と魂のプロセスを存在しながら見届けているのです。

 

わたしたちは、
今世での課題は、
生まれ落ちたあとまもなく忘れるように設定されていますから、
(答えわかってたら面白くもなんともないので)

自作自演の物語のはずなのに、
めいっぱい大変な想いをして生きることになります。

 

ちょっとしたことで「気づき」を得られれば、
楽でよいのですが、
なかなか、ちょっとやそっとでは「だいじな気づき」には気づけなかったりするので、

ド派手なイベント(主に苦痛を伴うできごと)として、
超わかりやすく「気づき」のギフトを届けてもらうことになるのですね。

そんなこんなで、
いくつものドラマティックなできごとを経験して、
「気づき」を見つけるコツを掴みだしたら、

わざわざド派手な体裁にしなくてもよくなるため、
苦痛を味わうギフトも激減していきます。

 

人生が激変した、というのは、
まさにこのようなことで、

「お金持ちになれた」
といったことばかりではなく、

あなたの生きる世界が、
苦悩に満ちたものから、
調和に満ちたものに変わっていくこと、
をさすのですね。

 

このことからわかる通り、

思考や感情、それに基づいた意思決定は、
『本来の自分』を生きることからブレてしまうことが多いです。

 

「知識」も「情報」も必要です。
「行動」も同じくらい重要です。

これは間違いないことです。

 

けれども、

「その場しのぎ」や、
「楽するために」といった意図だと、

間違った方向
(『本来の自分』を生きることからズレてしまった方向)
に舵を切ることになり、

より多くの苦労を背負い込むことになってしまいます。

 

そのため、
『本来の自分』を意識することが大切になってきます。

 

『本来の自分』からブレることがなければ、

『本来の自分』を生きるために必要な「知識」や「情報」を、
厳選して得ることができるだけでなく、
ひとつも取りこぼすことがなくなるでしょう。

遠回りすることなく身につけたものを、
「行動」に転化させることができると、
得られる結果もそのスピードも桁違いになります。

 

『本来の自分』を意識しはじめると、
思考や感情の外側にある、
直感や体感の感受性が高くなってきます。

 

「うまく説明できないんだけど、これうまくいくやつだ」とか、
「なんとなくこれはやっておいた方がいいよね」とか、

そういう
「ひらめき」というか「前兆」というか、
とにかく「いい予感」みたいなことが、
すこぶるよくわかるようになります。

 

以上のように、
自分で自分のことを自分の中心軸から決められる、
というパワフルさは、
「素直」を生きる偉大な恩恵です。

 

俗にいう「素直」のイメージと、
真に「素直」に生きるイメージ、

ずいぶんギャップがあるなと
感じられたのではないでしょうか。

 

多くの場合、
人や環境の影響下にあり、
自分自身を出すことがままならない状況にあると思います。

けれども、
これまでお伝えしてきた通り、

たとえ誰かの支配下にあったとしても、
『自分自身であること』の実践はできるので、

ぜひ、
あなたの「素直」を開花して、

のびのびと、
パワフルに、

『本来の自分』を生きること、を
感じてみてほしいな、と思います。

 

なによりも、
自分自身に対して「素直」なれることは、
本当に楽ですから。
(これまでいかに無理してきたか、しみじみ実感できます。)

 


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