「そうだね」だけでいいのに。。「相談して後悔する理由」と「相談の本質」

ゆーきちゃん

こんにちは。元No.1風俗嬢ゆーきです。

 

せっかく相談したのに(されたのに)
なんだかうまくいかなかったり
噛み合わなかったりして

「がっかり。言わなきゃよかった」
「ちょっと言い過ぎちゃったかな」

と思ったことはありませんか?

 

今回は、

相談や会話を通して、
どういうことが行われているか、

についてお伝えしていきたいと思います。

 

  • 相手に期待しすぎてがっかりしやすい方
  • 相談したことを後悔しやすい方

におすすめです。

 

では早速はじめていきますね。

 

『本来の自分』は答えを知っている

どんなに迷いのさなかにあっても、
『本来の自分』は、自分にとっての答えを知っています。

 

人に相談するときは、

  • こんがらがった糸をほどく糸口がほしいときに、
    自分の方向性が裏付けされる理論展開が
    ほんの少し必要だったり、
  • 背中を押してほしいときに、
    情緒的な寄り添いがほんのちょっと必要だったり、

する程度で、

 

実はそれほど多くのエネルギーを
必要としていないのですね。

 

なぜかというと、

パターンが邪魔してわかりづらかったとしても、
パターンの影響でその答えに何段階かを経てたどり着くとしても、

「どうしたいか」
「どう在りたいか」

の種さえ持っていれば、

自分自身でその種を芽吹かせることができるからです。

補足

パターンについて
「役割を生きるあなた」
「傷ついたあなた」
『本来のあなた』
に分けて解説しています。

 

芽吹く前の種は、
その内側でとてつもないエネルギーを抱いています。
(内燃といったりします)

 

そのエネルギーを解放し芽吹かせるには、

「望むこと」
「叶った姿をイメージすること」

重要です。

 

なぜ重要なのかというと、

蓄えているエネルギーのゆく先を定めることで、
その方向にエネルギーが流れてくれるからです。

 

種の芽吹く方向といえば上ですよね。

↑↑↑↑↑(←ふたばのイメージ)

 

そもそも、
迷いや葛藤があるときは、
方向が定まっていないのですね。

 

  • うごけないもどかしさ。
  • 動いたらどうなるかわからない怖れ。
  • 失敗や遠回りになってしまうのではないか。
  • 自分にとっての正解とは何なのか。

考えたらきりがありません。

 

方向をイメージしてみても、
上(↑)っぽくなさそうですよね。

 

こういうときはたいてい、
「望み」や「イメージ」は漠然としています。

 

逆に、
「望み」や「イメージ」が定まった上で、
誰かに相談したいときは、

ほぼ何もすることはありません。

「あとはただやるだけ」のところを
すっと撫でさすってあげる程度で完了です。

注意

「望み」や「イメージ」が定まった状態であっても、
やたらエネルギーをかける必要がある場合は、

「動き出せること」ではなく、
別のところに目的があります。

 

自分の声が自分自身を癒し勇気づける

あなたの声の力を使う
でもお伝えしているのですが、

自分の声は「癒し」です。

 

誰かを相手に相談するときは、
「3分以内に」自分で答えを言っている
と言われています。

 

ここでお伝えしたいのは、

自分の口で答え(望み)を言うことで、
『本来の自分』と一致する、ということ。

 

自分自身に表明し、
自分自身を勇気づける、

ということが内的に行われるのです。

 

相談というくくりにかかわらず、
夢を語るパワフルさは、
日頃から生かしたいものですね^^

 

誰かに言っているようで自分自身に言っている

もし、相談した相手(仮にAさんとします)が、
自分が必要と思っている以上に、
(すっと撫でさすってあげる程度より過剰に)

たくさんのことを伝えてくれたとしたら、
どうとらえたらよいでしょうか?

 

これは「相談の本質」になるのですが、
(会話の本質、と言い換えてもいいです)

 

たとえば、
Aさんがあなたに発したことは、
Aさん自身に言っていることで、

あなたがAさんに発したことは、
あなた自身に言っていることです。

 

Aさんがあなたに発したことを受けて、
あなたが想ったり言ったりしたことは、
あなたがあなた自身に言っていることです。

 

つまり、
会話というのは、

相手の言葉を「誘い水」にして、
【自分にとっての答え】を
自分自身と相手に表明している

ことなのですね。

 

これがわかると、

無駄に相手に期待することも
その結果がっかりすることも激減、
もしくは無くなります。

 

また、
過剰に反応してしまうとき、

つまり、
必要以上に訴えたり、
逆にかたくなになったり、
などあれば、

そこにパターンがあることに気づくことができます。

 

誰かが言うことは、

なんとなく自分の頭で
うっすら考えていたりすることで、

それは誰かの言う正しさや常識によるもの
だったりします。

 

誰かが言うことが、
もっともらしく感じたり、
うっとうしく感じたりする理由は、

ハートで感じるようなことや、
肚に決めるようなこと
は、
自分自身の中から出てくるものなので、

それらと対立する
思考(誰かの言う正しさや常識)に振り回されてしまう自分自身に、

「もっともかもしれないけれどうっとうしい」
と感じているから、なのです。

 

すべて主語は自分なのです。

誰かが自分の姿を見せてくれているだけ、
という世界です。

「愛(I)しかない」のですね。

補足

すべては『本来の自分』が仕立てた
自作自演の世界です。

自分の本質から生きる意味と目的。

 

「自分の望むところにだけ」取り入れる。

誰かに伝えた意見も解決策も、
自分自身にとっての答えだと
最初に知ったときはびっくりしました。

 

けれど、
それになじんでくると、

冷静に受け止めることにも、
熱くなってしまうことにも、
自由になれます。

 

ものわかりよくいる必要は
もはや無いですし、

上述したことを
すべてに適用するのではなく、

自分の望むところにだけで十分。

 

下手にわかってしまっても、
「分析されたくない」と嫌がられてしまったりもしますし、

衝動的(パターン炸裂)なままでいることが
かえって好感度として伝わることもあるので、

毎回が発見の連続です。

 

「あ、これ、今『聞かされている』やつだな」とか、
「あ、これ、今『言わされている』やつだな」とかも、

今の自分に必要なことはピンときて
自分自身に落とし込めるようになってきます。

 

そうなると、
「自分軸」が据えられてくるのも自覚できます。

 

「自分軸」が据えられてくると、

自分は自分、人は人、
の「へだて」がしっかりしてくるので、

人も自分も大切にする(いたわる)ことができるようになります。

 

今でも「人見知り」と思っているのですが、
「人見知り=人嫌い」ではないのだな、と。

自分で想う以上に「人好き」なんだな、と。

大切にしたい人を大切にしたいだけ大切にする。

万人受けはしないけれど、
そういうのが心地いいな、と思っています。

 

 

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