習慣化をはじめてみよう

こんにちは、ゆーきです。

あなたは何か「習慣化していること」はありますか?

わたしは最近スタンドエフエムを始めました。
朝、近所の川べりに来て収録するというチャレンジです。

朝起きるのが苦手なので”朝活”的なことはあまりやったことがありません。
朝活動しているときは、夜じゅう起きていた延長線の朝ですね。
朝のルーティンが確立している方を尊敬のまなざしで見ているタイプです。

なのですが

ちょっと転機があって、これを機会に習慣化できたらなと思っています。
自分だけでひっそりやっているとたぶんすぐ挫折しちゃうので
決意表明も兼ねて書いています。

実は、昨年の夏に父を亡くしてから動けなくなってしまったんですね。
ほぼ寝込んでるような生活でした。

でも「フル充電するまで動かないぞ」って決めたら
こんな風に動き出すタイミングってやがて訪れるんですよね。

休むことって大事だなって、今しみじみ思っています。

これまで何気なくやってきていたところからすると
家族に迷惑かけたり心配かけたり
一見ネガティブな風にしか見えないんだけど

それでも振り切って
今までの「いい子」をやめる。

「自分は本当は何がやりたいんだろう」

それを見つけることが
寝込んでたときのわたしにはすごく必要だったです。

それを決めたからといって
それを実践したからといって
何が見つかるっていう保証があったわけではないので
寝込んでしまうという現実にものすごく躊躇しました。

でも父が亡くなって心身疲れ果ててしまった。
いわゆる強制終了だったんですよね。
アイデンティティクライシス。

アイデンティティクライシスとは

・自分って何なんだろう
・別に自分がいなくたって誰も困らない
・自分って何の役に立つんだろう
・自分が本当にやりたいことって何なんだろう

こんな風に想ってしまう状態のことですね。

これって

「このままではもうダメだから次の自分を生きてみない?」

っていう魂レベルからの提案なのかなと想っています。

気持ちも心もめちゃくちゃバッドなので
なかなかそんな提案がされているだなんて思えないんですけどね。
そのフェーズを過ぎて振り返ってみるとしっくりきます。

「自分の魂が何を望んでいるか」普段はなかなか自覚できないです。
あーなんじゃないかこーなんじゃないか
いろいろ模索しても簡単には見つかりません。

ちょっと想像してみてください。

自分の「本来の望みに導いてくれること」ってどんなことだと思いますか?

さっそく答えを言っちゃいますね。

「こっちだよ」って本来の望みに導いてくれること、とは
できごと的にはネガティブなこと、
感情的にはすこぶるバッドになるようなできごとなんです。

今の自分のままでいさせてくれることは”ある種の快適”さがあるので
変わるきっかけって必ずと言っていいくらいネガティブなできごとなんです。

ネガティブなできごとに直面して落ち込んでしまうと
今までと同じ轍を走り続けることになってしまいます。

潜在意識は変わりたくない特性を持っているからです。

じゃあ「いつその轍から抜け出て、本来の自分の生き方ができるのかな」って想うと

やっぱりちゃんと
「無理はきかない」
「ダメなものはダメ」
って認めなきゃいけない時がくるんですよね。

そうすると、落ち込む状態の先、に行けるんです。

で、そういうときに何が後押ししてくれるのかというと
自分のことを信じてくれる人
自分の可能性を感じてくれる人
そういう出逢いをもたらしてくれる「ご縁」なんですね。

たいていは「今までの自分でいてほしい人」が周りにいて
心配の仮面をかぶって邪魔してきます。

でも寝込んでる間「もう邪魔されるの嫌だな」って思ったんです。
誰かに気を遣って、自分が望んでもいないようなことをする人生って。

その挙句の強制終了ですしね。

心配面して邪魔してくる人たちを蹴散らして
「わたしはこっち行くんだ」という強い想いを尊重すると決めたんですね。

ちゃんと魂レベルが望んでいることを選んでいく。

本来の自分を生きれたらいいじゃないですか。

わたしの場合の転機は
「仲間を作ろう」と言ってくれた人がいたんです。

しかも立て続けに2人も。

わたしは友だちを作ることが苦手だし、
仲間と言いつつ結局疎外感のある関係性というのがこれまで多かったので
仲間という言葉自体にうさん臭さを感じてしまう心癖があるんですよね。

「まぁ口だけではいいこと言えるよね」と思っていたんですが
(性格悪いですねw)
でも明らかにエネルギーが全然違うんですよね。
それを言ってくれた人が。

なので
「この人にだったら騙されてもいいな」と想ったんです。

やってみてまた疎外感のある関係性になってしまったとしても
もう一度トライしてみてもいいかな

と想えたんですよね。

ふたりとも温かくて、まったく騙すような人ではないんですけどね。
そのくらいわたしに不信感があったんですね。

で、それが溶けた。

人に対しても信じることができなかったし
自分自身を信じることもできなかったんですね。

信じて裏切られることが怖かったというのもあるし
とにかく信じることができなかった自分がいました。
自分のことが嫌いでした。

今でも「信じるってなにそれ、美味しいの?」って感じです。
信じることを深く語ることは今のわたしには正直難しいです。
(”できる風”を装う選択もあるけど、等身大の自分であなたと関わりたいので、正直にお伝えしています)

でも動き出せた。

それでいいのかなって。

これ以上ダメになりようがないんだったら
もう突っ走ってそっち側「自分の信じるほうに」行ってみてもいいのかなと思って
進むことにしました。

だからといってしあわせが約束されているわけじゃないし
しあわせが待ち構えているわけじゃない。

つまり一般的に言う「しあわせ」とされているものですよね。

そういった「しあわせ」の保証はないけれど
でもやっぱり動き出すこと自体に希望があるんですよね。

「自分が自分でいられるというしあわせ」は
自分にしか叶えられないから。

自分の「本当はこれがやりたかった」っていう
ホントの本音の部分っていうのを
ひとつでも叶えられたら素敵だと思いませんか。

そういうことを自分自身にもう一度叶えてあげたいなと想ったんですね。
そのきっかけが”朝活”です。

また別の機会にいろいろお伝えしていこうと思います。
わたしの人生失敗だらけなのでネタはいろいろあります。

なので、これを読んでくださっているあなたの気持ちが
少しでも楽になれたらいいなと思って
習慣化を通して気づいたことをお伝えしていこうと想います。

あなたは「習慣化していること」はありますか?
もしよかったら教えていただけたらなと想います。
これを読んで「わたしも何か始めてみたよ」という嬉しいお知らせもお待ちしています。

あなたとの「ご縁」が嬉しいです。
これを読んでくださったあなたはすでにわたしの仲間です。
今日もあなたが素敵な一日を過ごせるよう祈っています。